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都心の神域 ―原生林と天皇の関係性―

東京には森がある。それも二つ。新宿に林立する高層ビルやスクランブル交差点にあふれる人間を指した皮肉ではない。一つは皇居、もう一つは明治神宮だ。この二つの森は、公園や雑木林のように人間によって手入れを施された場所とは異なりその誕生以来、調査以外で人の立ち入りを許してこなかった原生林である。世界有数のメガロポリスである東京に二つの原生林が存在しているというのはよく考えてみれば異様な状況だ。ここでは、この皇居と明治神宮の二つについてそれぞれ論じる。二つの論考が結びつくかどうかは書いている僕にもまだわからないが、とにかく書き進めることにする

○中空性の象徴としての「皇居」

 フランスの哲学者ロラン・バルトは著書『表徴の帝国』の中で皇居に関して実に乱暴な、しかし核心を突いた分析をしている。

「わたしの語ろうとしている都市(東京)は、次のような貴重な逆説、―いかにもこの都市は中心をもっている。だが、その中心は空虚である―を示してくれる。禁域であって、しかも同時にどうでもいい場所、緑に蔽われ、お濠によって防御されていて、文字どおり誰からも見られることのない皇帝の住む御所、そのまわりをこの都市全体がめぐっている。」

 都心の中心にあるその空虚には日本国の象徴たる天皇が住んでいる。皇居の放つ力は日本国民の精神における天皇のあり方を反映している、という事実を明らかにしたのは猪瀬直樹の『ミカドの肖像』である。戦後、天皇は人間であると宣言され政治的権力を取り上げられた。にもかかわらず日本人の心の中で天皇は触れてはならないもの、とにかく敬わねばならない存在として君臨している。

 皇居という場所も同様だ。丸の内という世界有数のオフィス街を歩いていくと突如視界が開ける。光を遮られた薄暗いビル群の中にあって、その場所だけ異様なほど空が広く感じられる。道路は皇居を回るように配置され、地下鉄ですら皇居の下を避けて通る。

 皇居から発せられる力は、例えるなら近づけば近づくほど強くなる下向きの力、圧迫感のようなものだ。僕はその感覚を以前、ニューヨークの中心にあるセントラルパークとグラウンドゼロを対象として比較を試みた。セントラルパークは文字通り巨大な公園で多くの人が自由に集まる場所である。セントラルパークからは竜巻のような、人を中心に引き込むような力が発せられている。その力の正体は、アメリカンドリームと呼ばれるものであり、多くの移民をアメリカへと誘った。しかし、二〇〇一年九月一一日、セントラルパークとは全く逆の力を放つ中心が誕生した。グラウンドゼロだ。原理主義者の凶行はアメリカ国民を疑心暗鬼に陥れ、「移民の国」を排他主義が覆った。

 そのほかにも都市の中心にはいろいろある。最も分かりやすいのはお城だろう。僕の生まれ育った町、松山は中心に松山城がそびえている。というかお城を中心に町が作られているのでお城の無い松山など想像もつかない。

 東京に話を戻そう。日本の中心が空虚であることを、暗に日本人の精神構造と結び付けたのが河合隼雄の『中空構造 日本の深層』である。河合は、日本人には古来から中心を持たない精神構造があると指摘した。その例証となるのが古事記の逸話だ。古事記に登場する有名な神に、スサノオ(素戔男)、アマテラス(天照)、ツクヨミ(月読)がいる(読者の方は某忍者漫画でこの名を知っているかもしれない)。河合によればこの中で名前だけを見れば最も重要なのはツクヨミだという。今の感覚で考えれば、太陽を意味するアマテラスではないかと思うかもしれないが、高校で習った和歌を思い出してほしい。月を詠む和歌には数えきれないほど出会うが、太陽を詠んだ歌は記憶にないのではないか。加えて当時の日本は(というか明治に入るまで)日本は太陰暦だったことを思い出してほしい。月の満ち欠けで暦を製作していたのであり、月は日本人の日常に最も深く結びついていた。

 しかし、最も重要そうな名を持ちながら古事記の中にツクヨミのエピソードはあまり登場しないのだという。アマテラスとスサノオは対照的な性格を持った神であり、ライバル関係のようなものが描かれエピソードも数多く挿入されているにも関わらずである。このアマテラスとスサノオに関しても、西洋の「天使と悪魔」のように絶対的な善と悪というような対立構造とは異なる。いつかは天使が悪魔に打ち勝つのではなく、アマテラスとスサノオは時として緩やかな協調関係を築いたり敵対したりを繰り返す。ツクヨミという語られぬ中心、つまり空虚の周縁をスサノオとアマテラスという神がぐるぐると周回しているのだ。この古事記に登場する三神と同様の構造は日本の神話の随所にみられるのだという。

 この構造はまさに日本人の気質を表している。強力な一つの強力な思想が他の思想を淘汰するわけではなく、過去の思想も緩やかに共存する。一人の強力なリーダーが強力に周囲を引っ張るのではなく、長老的な人間が皆の意見を吸い上げつつ一つにまとめていく。このような日本人の精神構造は、「中空性」という言葉で説明されるのだ。

 天皇という存在も、絶対的な政治権力として存在していた時期は実はあまりないのではないか。将軍の権力を承認する上位の権威でありながら、実際に政治権力は握らせてもらえない。しかし、将軍と天皇を無視することは決してできなかった。西洋的な思想が日本にあれば、権力を掌握するため歴史上のどこかの段階で天皇は殺され断絶させられていただろう。

 中空性を体現するのは広場でも城でもない。森、それも原生林しかありえないのである。

○「人工の歴史」としての明治神宮

 都心にあるもう一つの森、明治神宮。明治神宮が抱える森林は、その中で一つの生態系が構築されるほど深く、都心に関わらずタカが生息しているほどだ。参道を歩くと、原生林の迫力が非常によくわかる。うっそうと茂る森を見れば、明治神宮が刻んできた悠久の歴史を感じざるをえない。

 ところが、明治神宮はその名の通り明治天皇をまつる場所である。つまり、その誕生から百余年しか経っていないのだ。巨大な原生林とその年齢のギャップはいかにして構築されたのか。明治時代に戻って考えてみよう。

 時の明治政府は政治権力としての正当性を渇望していた。当時の人間にとって新政府は、いかに錦の御旗を掲げていたといっても江戸幕府を倒しクーデターによって成立した政権である。一般大衆にとっての正当性は、必ずしも論理的な正当性ではない。「昔からそうだった」という感覚が、特に農民層にとっては重要だったはずだ。すなわち、歴史の重みである。明治神宮の広大な原生林は、荘厳な雰囲気を醸すために計画された森林であった。

 しかし、それは一つの壮大な実験でもあった。明治神宮の森林設計を担当した林学者は木々の構成だけを考え、植樹後は放置することにしたのだ。人間によって設計されながら人の立ち入らない森林というのは世界的にもあまり例がない。

 話を少し変える。明治神宮は当初の目論見通り、我々に実質以上の歴史の重みを感じさせる空間として作用している。百年と言われれば長いような気もするが、あの場所から発せられる力は百年どころか千年の時を経たかのような錯覚を与える。

ここで視点を変えると、「歴史の重み」はある程度人の手によって作ることが可能だといえる。この力は、良いことにも悪いことにも使える。自分のやっていることに賛同者を集め持続性を持たせようと思えば、歴史性を持たせるとよい。日本各地で祭が残っているのも歴史があるからだ。今の世の中、娯楽など無数にあるのだから今のコンテクストの中にあっては意味を理解することの難しい祭など淘汰されてもよいと考えることもできる。しかし、それでも祭が続くのは、「昔からやっている」からだ。何百年も続いた行事を自分たちの代で終わらせることはできないのである。これはもちろん良い面も悪い面もある。

自分の正当性を歴史の観点から説明しようとするとき、明治神宮のような「作られた歴史」を用いるのはいささか滑稽だ。日本の右翼主義者は明治神宮をして日本の長い歴史の象徴のように語る場合があるが、それはあまりにお粗末である。

ここまで、都心にある二つの森について語ってきた。強引に二つの話をまとめてみよう。

 皇居と明治神宮は同じような原生林を抱え、その森のなり立ちもおそらく大差はないだろう。皇居も昔は江戸城であり整備されていたのだから。しかし、僕にとって皇居の森と明治神宮の森は似て非なるもののように思える。

 端的に言ってしまえば、皇居は「黙する森」であり、明治神宮は「主張する森」である。皇居の森は天皇という日本の歴史を背負ってきた存在を守るためにあり、内から外への力を発するものではない。さっき、僕が述べた皇居の持つ圧迫感は水平方向の力ではなく、上から下へ働く「磁場」のようなものであると理解してもらいたい。

一方で、明治神宮は明治政府、言い換えれば、維新によって誕生した江戸より後の政府の正当性を声高に主張する政治的な森である。

ずいぶん長く勝手なことを書き連ねてきたが、都心の真ん中に二つも森がある、しかもその両方に天皇という存在が関わっているというのは、誰がどう考えてもおもしろいと僕は思う。サブカル論のような浅薄な日本論を読み漁るより、まずこの二つの森を訪れることをお勧めする。 

#第2巻

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