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東京幻想論

東京の一番の特徴といえば、日本の情報や人が一極集中していることであろう。欧米では計画都市が主流である。アメリカでは特に顕著であろう。経済はニューヨーク、政治はワシントン、学問はボストン、といった具合に役割や街のシンボルとなる建物を分けるのである。日本では政治経済、文化芸術、報道の中心は東京に集約されている。人が集まるところにものが集まり、ものが集まるところに人が集まる。この流れは留まることなく好循環し東京は世界の大都市に上り詰めた。一方でこの好循環の原理は地方にとっては格差拡大の元凶にもなっているともとれる。防災意識の高まりを背景に、首都機能を分割しようという議論があるが、現実味がない。

そんなわけで、東京にはそれぞれが色々な期待を胸に上京してくる。関東圏育ちの人よりも、地方出身者のほうがその思い込みや期待値は高いだろう。それは和敬塾生にもいえることである。学問を志し難関大学を目指したものもいれば、東京へ上京すること自体を目標に掲げたものもいる。ちなみに僕は後者である。地方出身者にとって、大学進学は上京へのかけがえのないチャンスである。実際を知らない人の頭の中で、イメージはより膨らんでゆく。それは時として実際のものを超えることもある。そんなイメージの東京はどのようなものだろうか。これを「東京幻想」と名付け、日本社会を探ってみたい。というのも、そのイメージというものは社会の在り方と不可分だからである。

国民性として有名なのは、アメリカの「アメリカンドリーム」という言葉であろう。アメリカでは誰しも夢を見て、それを追いかけることが一つの社会的正義である。僕には一人の輝かしい成功者の陰に無数の敗北者が生まれるアメリカ社会を想起させる。日本はこのようなお国柄を持たない。ゆえにこのような言葉はない。故郷に錦を飾るという言葉があるにはあるがもう古いものになってしまった。

最近の話題に上ったのが大阪での都構想をめぐっての選挙である。結果は僅差で否決され、橋下市長は政治生命を失った。ここで注目したいのは結果より選挙の展開である。維新の会は大阪都構想というアイデアをぶち上げ、これが大阪府民の琴線にヒットした。大阪都のコンセプトは名前からわかる通り「大阪を東京と対等にしよう」という試みに他ならないのではないか。保守陣営は「名前を都にしただけでは問題は何も解決しない。むしろ(以下略)」と批判したがあまり普及しなかった。「都にすると面白そうじゃね?」「大阪ハジマッタ」みたいなノリには聞く耳を持ってもらえることは当然できず、理論的に説明することは効果がなかった。橋下陣営も都構想が人を引き付けようとしたアイデアから生まれたものである印象を拭いきれず、説明も中途半端なものに終わった。結局橋下人気の低下と一蓮托生であった、という印象である。

しかしながら大阪も極めてユニークな土地である。伝統的な文化芸術の都として京都が隣にあり、かつては商業の町として栄えたが、近年はお笑いや食の都として、地域アイデンティティを全面に出している。キャラとでもいえばいいだろうか。アイデンティティというのはもともと心理学用語である。単純に言えば私が私である、ということなのだが、それを前面にだすということはかえって不安定ではないかと私は疑ってしまう。社会学にも言えることであるが、「それは心理的に問題があるのでは?!」と嬉々としてなんでも病認定(定義)するのが心理学の悪癖であるが承知していただきたい。つまり経済だけではアイデンティティを保てず文化を探り始めたのでは、という考え方である。アイデンティティというのが共同体にとっては文化にあたると考える。そもそも経済がアイデンティティになること自体おかしなことである。Cool Japanという日本が誇る(笑)文化を輸出する政策は、名前だけでなく本当に倒錯していると感じる。

話が脱線したが私が言いたいのは、土地柄や文化を再確認するかのように、積極的に大阪が情報発信することと、政治的な大きな動きがあったことは関係があるのではということである。少なくとも「とりあえず名前を都にしてみません?」みたいな話がこれだけ大きな動きになった理由を考えるには、大阪という土地柄を理解すること、そして「都」である東京をどのように見ているかを知ることが必要ではないか。

以上の動きは大阪に限った話ではない。東京は、というより日本は将来的なビジョンを描けずにいる。そこで飛びついたのは東京オリンピックであった。そしてほぼ同時期に「日本(にっぽん)を取り戻す」というフレーズを抱え、やたら「日本の誇り」「世界に伍する日本」を連呼する政権が登場した。彼らはどんな日本を思い描いているのだろうか?どんな日本を取り戻そうとしているのか?東京オリンピックの経済効果や特需を期待するばかりで文化的な祭典であることには誰も気にしていないのは、非常に日本らしいことである。プライドと文化的アイデンティティの喧伝と、経済的社会的不透明感の高まりは関係があるのではないだろうか。

東京に幻想を抱いて多くの人が上京している。想像していた以上で満喫している人もいれば、幻滅した人もいるであろう。しかし最初から東京にいると夢を見ることもないのである。必ずその強みがあるはずである。その手がかりを求め書いた。アイデンティティを求めるような心理的に不安な要素は、魅力的な人や文化の成熟に一役買っているのではないだろうか。

今の日本の社会を見渡して、東京というテーマを軸に気になったことを書いた。5年後に迫る東京オリンピックと大阪都構想の選挙には、日本の未来をどのように描くかということが問われた出来事であったと思う。日本社会の先行きへの不透明感をあぶりだそうと、アメリカン・ドリームに対比して東京幻想という造語で事例を挙げた。

経済的に先行きの見えない、或は示せない時代に国家が文化的アイデンティティを喧伝しナショナリズムに走ることは困ったことである。一見、東京に対する幻想は事実と大きく異なり必要ない経験に思える。しかし個人にとっては自身の未来を切り拓く上でヒントとなるかもしれない。

#第2巻

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