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小説を芳る 第䞀回

[endif]--![endif]--[endif]--![endif]--小説は間違い無く珟実よりも奇である。加之、間違い無く珟実よりも耇雑である。小説が織り成される際に匵られる蚱倚の瞊糞が物語の内容――いはゆる筋なるものだずすれば、その暪糞は物語の蚀説――蚀わば語りそのものである。織物の堎合、我々はその完成品から瞊暪を問わず構成郚分たる糞を発芋しうるのであるが、これが小説ずなるず、我々読み手の芖線は、残念な事に応ち瞊糞にばかり泚がれおしたうのである。これはこの䞊なく嘆かわしい事である。なぜなら、単にいいお話を享受する事のみが目的であれば、敢えお小説なんぞずいう間接極たりない手段を採る必芁はなく、――寧ろ立掟な舞台矎術の䞋で䞊手な圹者さんにお芝居をしお貰った方が䜙皋盎接的に心に響くだろう――小説からただその内容ばかりを芋ようずする行為は、ずりも盎さず小説固有の極めお魅力的な成分を閑华する事を意味するのである。これが曞き手に察しおも読み手に察しおも惜しむべき事であるのは蚀うたでも無い㈠。[endif]--

そこで、今回から暫く連茉ずしお読者諞氏が今埌小説を読む際、その暪糞に泚目する為の手がかりずなる様な手段のいく぀かを、なるたけ単玔か぀平易に玹介しお行こうず思う㈡。たた圓皿で取り䞊げる諞技術は、殆どが先人の既に指摘、或いは開発した物であり、私の新たに発芋しお䞻匵する物はほが無い事を歀凊に明蚘しおおく然し凊々に私が匕甚する小説の箇所はおよそその限りでは無い。

始めに明確にしおおきたいのが、物語の内容ず蚀説ずに぀いおである。ここでは冒頭でも述べた通り、物語の内容は、いはゆる筋――䟋えば「川の䞊流から桃が流れおきた」ず蚀う物語における、桃が流れおきたずいう事実を衚すものずしお、他方物語の蚀説は、語りそのもの――蚀わば、䟋の桃のくだりで蚀う凊の「川の䞊流から桃が流れおきた」ずいう文そのものを衚すものずしお話を進めお行きたい。

第䞀回である今回は物語の持぀速床圢態、蚀わばテンポに぀いおお話ししお行こうず思う。少し考えれば気付きうる事なのだが、小説の䞭に流れる時間は必然的に二重性を垯びおいるず蚀う事ができる。぀たり内容が持぀時間――䟋えば、桃倪郎が生たれおから成長するたでに物語の䞖界内で流れたであろう䜕幎かの時間――ず、蚀説が持぀時間――぀たり、小説においお桃倪郎が成長するたでに語られた文章を読むのに読み手が消費する時間――ずの関係がそれに圓たる。

そこで内容ず蚀説ずの関係を鍵に、物語のテンポを䞉぀に分類するこずが出来る。すなわち「加速」ず「等速」、それから「枛速」ずである㈢。

「加速」ずは、蚀い換えれば省略である。䟋えば「五幎経っお、僕等は高校生になった」ず蚀うが劂き。ここで内容ず蚀説ずの関係を芋おみよう。物語の内容においお䟋の䞀節が持ちうる時間は、蚀うたでも無く五幎である。「五幎経った」ず蚀っおいるのだから、小説内の䞖界では誰が䜕ず蚀おうず五幎過ぎたのである。䞀方で、この䞀節が持ちうる蚀説の時間は刹那極たりない。なぜなら、読み手は「五幎経った」ずいう文を読むのに物の䞉秒ず掛からないからである。「加速」のテンポを䜿えば、䞀頁で䞀䞖玀、吊䞀行で地球滅亡たでの時間を飛び越す事が出来るのである。無論、その䞀節を読むのに我々が消費する時間がその内容的時間よりずっず短い事は最早蚀うたでも無い。

次に「等速」に぀いおである。端的に蚀うず、小説における䌚話の堎面がそれに盞圓する。次の文を芋おみよう。

䞀人は垣を境に䜕か談刀しお居る。聞いおみるずこんな詰らない議論である。

「あれは本校の生埒です」

「生埒たるべきものが、䜕で他の邞内ぞ䟵入するのですか」

「いやボヌルが぀い飛んだものですから」

「なぜ斷぀お、取りに䟆ないのですか」

「是から善く泚意したす」

「そんなら、よろしい」

挱石党集第䞀巻『吟茩は猫である』岩波曞店 昭和四十幎

読んでみれば分かる様に、ここで芋た䌚話における内容ず蚀説ずの時間の差異は限りなくれロに近い㈣。ここに関しおは、本文で敢えおこれ以䞊絮説するには及ばないだろう。

䞉぀目の「枛速」に぀いおだが、これは至極単玔に蚀い換えれば描写である。䟋を挙げる前に少し想像しおみよう――あなたの前に䞀本のペットボトルがある。倧きさはどうか キャップの色は 銘柄は あずどれ䜍残っおいる  ――珟実䞖界ではこれらの情報を入手する目芖するのに、物の二䞉秒もかからない。䞀方物語の蚀説ではどうだろうか 先の質問矀に描写で答えお行くず、はっきり分かるだろう。すなわち、「ペットボトルがある。䞞い五癟ミリリットルのいろはすで、味は最近出たトマト味である。キャップは緑、既に半分䜍飲たれおいる」ずいった様になる。このペットボトルの描写に充おられた蚀説を読むのにかかる時間は我々が珟実に其れを目芖するのにかかる時間に比べるず極めお長い。぀たりこの手の郚分では、物語は非垞に緩やかな速床で進んでいるのである。ここで実際に小説を芋おみよう。ただし、次に匕甚する文章は、内容自䜓はこれたでの話ず倧しお関係がない。埓っお、ここでは私が傍点を打った最埌の䞀文の他に芋るべき凊は無い。特別な興味でもない限り倧いに読み飛ばしお結構である。

[endif]--![endif]--[endif]--![endif]--䜵しそれは䞉面蚘者の曞いた事である。朚村は新聞瀟の事情には矒いが、新聞瀟の藝術䞊の意芋が䞉面にたで行き枡぀おゐないのを怪しみはしない。[endif]--

今讀んだのはそれずは違ふ。文藝欄に、瞱什個人の眲名はしおあっおも、䜕のこずわりがきもなしに茉せおある説は、政治䞊の瀟説ず同じやうなもので、瀟の藝術觀が出おゐるものず芋お奜からう。そこで朚村の曞く物にも情調がない、朚村の遞擇に與぀おゐる雜誌の䜜品にも情調がないず云ふのは、朚村に文藝が分からないず云ふのである。文藝の分からないものに、なんで脚本を遞ばせるのだらう。情調のない脚本が當遞したら、どうするだらう。そんな事をしお、應募した䜜者に濟むか。䜜者にも濟むたいが、こ぀ちぞも濟むたいず、朚村は思぀た。䞭略兎に角歀䞀山を退治るこずは當分埡免を蒙りたいず思぀お、甚簞笥の䞊ぞ移したのである。

[endif]--![endif]--[endif]-- ![endif]--曞いたら長くな぀たが、これは䞀秒時間の事である。[endif]--

鷗倖党集第䞃巻『あそび』岩波曞店 昭和四十䞃幎

 小説に固有であり、よく知られた珟象である「枛速」を、鷗倖は些か芪切過ぎる㈀方法を以お明確に瀺したのである。たた、ここでは察物描写でなく心理描写によっお物語が枛速しおいる事にも泚目したい。

さお、ここたで物語の䞉぀のテンポの玹介をしおきたが、実際にはどのように䜿い分けがされるのだろうか。その目的は、それこそ曞き手によっお幟らでも増殖しうるのであるが、䞀般的な働きずしおは、読み手の目を匕寄せる事、換蚀すれば物語にダマ堎を䜜る事が挙げられる。鷗倖の『舞姫』で実際に芋おみよう。この䜜品を時間的関係を優先しお堎面ごずに分け、堎面ごずの経過時間を纏めるず、凡そ次の通りになる㈥。なお、頁ず行ずは岩波版党集に拠る

第䞀堎面「垰路船䞭」

→ 四二五頁䞀行  四二六頁八行  

 䞀日以内

第二堎面「倪田豊倪郎の出生」

→ 四二六頁九行  四二六頁䞀五行 

 二十幎足らず

第䞉堎面「䌯林到着盎埌」

→ 四二六頁䞀六行  四二八頁䞉行 

 二か月䜙り

第四堎面「䌯林での倉化」

→ 四二八頁四行  四䞉〇頁䞉行  

 䞉幎

第五堎面「゚リスずの出䌚い」

→ 四䞉〇頁四行  四䞉䞉頁四行  

 数時間

第六堎面「゚リスずの接近」

→ 四䞉䞉頁五行  四䞉五頁䞀行  

 凡そ数週間

第䞃堎面「楜しき月日」  

→ 四䞉五頁二行  四䞉六頁䞀四行 

 数週間

第八堎面「倩方䌯ずの面䌚」

→ 四䞉六頁䞀五行  四四〇頁䞉行 

 䞀䞡日

第九堎面「蚪露」    

→ 四四〇頁䞉行  四四四頁䞃行    䞀月二十日䜙り

第十堎面「垰囜決定→卒倒」

→ 四四四頁八行  四四六頁二行  

 二、䞉日䜙り

第十䞀堎面「芚醒→垰囜」

→ 四四六頁䞉行  四四䞃頁䞃行  

 䞀月䜙り

ここから明らかなように、物語が最も倧きな加速を芋せるのは第二堎面「倪田豊倪郎の出生」で、䞃行で二十幎匱が経過しおいる。䞀方で最も枛速したのは第五堎面「゚リスずの出䌚い」で、ここでは䞉頁ず䞀行、すなわち四十九行の䞭で数時間しか経過しおいないこずになる。次に倧きく枛速するのが第八堎面「倩方䌯ずの面䌚」で、ここでは䞉頁ず䞃行、すなわち五十五行で䞀日が経過しおいる。物語の転換に倧きく䜜甚する二人の登堎人物、すなわち゚リスず倩方䌯ずの出䌚いの堎面に、このように盞察的に倧幅な枛速がもたらされおいる事は泚目に倀する㈊。぀たり、鷗倖は『舞姫』においお基本的に皋床の異なる諞々の加速を甚いおテンポ良く物語を進めながら、物語の転換点、いわば物語のダマ堎で倧幅に枛速しおみせるのである。――ず蚀うより寧ろここでは、枛速する箇所では倧䜓䜕か起きるのである。奜き嫌いは別ずしお、読み手の泚意を匕く䜜品のダマ堎がどうしおダマ堎たりうるのか。其の鍵の䞀぀が、取りも盎さず物語のテンポなのである。圓然ながら、その鍵はテンポ䞀぀では無い。小説の䞭にはただただ無数の仕掛けが為されおゐるのであるが、それはたた次回に。

泚釈

侀 しかし、珟圚屡芋受けられる物語内容の奇抜さ䞀般的に蚀う面癜さのみを以お差異を生ぜしめようずする䞀郚の䜜品矀は凡そ歀の察象ではない。なぜなら、其の手の小説の曞き手は、恐らく珟代の倚くの讀み手同暣、物語内容以倖の領域で語られた蚀葉にさしたる泚意も敬意も払぀おゐないからである。畢竟枠の手の䜜品矀は嚯暂でこそあれ、文孞では無いず蚀ぞるのである。

二 些か耇雑ず思はれる事柄は、専ら泚釈を以お論ずる事ずする。埞぀お、本文の内容に䞀抹の無聊を犁じ埗ぬ賢明なる諞圊は、泚釈をも参照の䞊埡芧頂ければ、我々雙方にず぀お曎なる喜びずなる事間違ひ無い。たた本文にある通り、當皿の目的は小説に關する䜕らかの新たしい抂念や理論を䞻匵する事ではない。埞぀お讀者諞氏には、豫め當皿の詊みが花間に䞀壷の酒を酌む獚翁の酔興に䞀般である事を心埗お頂きたい。

䞉 著曞『物語のデむスクりル』花茪光、和泉涌䞀蚳 氎聲瀟 䞀九八五幎に斌いお、プルりスト『倱はれた時を求めお』のテクストを䟋に小説の方法論を説いた・ゞナネツトに拠れば、歀のテンポは必然的に四段階に分類出䟆る。即ち「省略法」、「描寫的䌑止法」、「情景法」、其れから「芁玄法」である。省略法は本文にある「加速」ず略同矩である。たゞ「加速」は埌説する芁玄法をも含有しおゐる爲、省略法は「加速」の䞭に斌ける「䜕幎經぀た」ず云ふが劂き、時間を省略する蚀説のみを指す点に泚意すべきである。

「描寫的䌑止法」は倧方本文で云ふ「枛速」に盞當する。䜆し泚意すべきなのは、ありずある描寫が、皆物語の枛速を導く譯ではない事だ。仮什描寫の圢態を取぀おゐおも物語が枛速しない䟋は無敞に存圚する。䟋ぞば次の暣な蚀説はだうだらうか。詰たり「車窗から眺めおゐるず、圌暣に倧きか぀た山もみる〳〵内に小さくな぀お、アポロチペコレ゚トの暣に爲぀お了぀た。」ず云ふが劂き。歀の皮の描寫は、取りも盎さず䞻人公の動的知芺――歀處では、䞻人公自䜓は動いおゐないが――に拠るものであり、物語はさしお――少なくずもペツトボトルを描寫する時に比しおは――枛速する事が無いのである。畢竟、凡そ知芺以倖の䞀切の動䜜が含たれない描寫によ぀お枛速が霎された状態に附き、我々は其れを「描寫的䌑止法」ず呌ぶ事が出来るのである。「枛速」のテンポに斌いお描寫が枛速を霎す堎合、其の描寫は䟋倖なく「描寫的䌑止法」の其れに盞當するのである。

「情景法」は、原則的に本文で云ふ處の「等速」に盞當するものであり、本来は描寫や語り手による䜙談等の排陀された蚀説を指すのであるが、ゞナネツトに拠れば情景法はプルりストの『倱われた時』によ぀お「あらゆる皮類の附随的な情報や状況がそこに収斂する」やうに爲぀たため、䞀抂に「等速」の運動ずは云ぞぬのである。然し、歀處では䞀應の理解ずしお、䞀般的に「等速」にある皋床盞當するものずしお會話の「情景法」を捉ぞおおく事は問題無いやうに思はれる。

「芁玄法」は本文で云ふ「加速」から省略法を陀いたものである。謂はゞ、纏た぀た月日――敞日ずか敞か月ずか敞幎ずか――に及ぶ出䟆事を幟぀かの文、或ひは敞頁の内に瞮めお語る方法である。䟋ぞば「桃倪郎はすく〳〵育぀お立掟な青幎に爲り、おじいさんずおばあさんずに鬌退治に埃きたひず云ひたした。桃倪郎は刀、鎧ずきびだんごずを貰ひ、犬ず猿ず雉ずを埞ぞお鬌が島ぞ埃きたした。」ず云ふ二文の䞭では「十五幎經぀お」ず云぀たやうな具䜓的な省略は行はれおゐないものゝ、明らかに物語が高速床を以お進行しおゐる事が芋お取れるのである。たた、芁玄法は省略法ず異なり、蚀説の持぀時間が内容の持぀時間を超ぞない限りず云ふ条件の䞋、其の芁玄の皋床次第で幟らでも内容ず蚀説ずの時間の差を瞮める事が出来るのである。

歀れらを䞀通り玹介した埌で、ゞナネツトが解説すべく甚いた歀れら四぀のテンポに關する敞匏を歀處に玹介する事は、諞氏の理解を倧ひに助けるものであるず考ぞるので以䞋に匕甚する。其處では、物語内容の時間はTHTemps d' Historieず、物語蚀説の疑䌌的、或ひは玄束事ずしおの時間――詳しくは泚釈四を参照の事――はTRTemps de Récitず衚されおゐる。

䌑止法 ―― TR = n TH = 0

       ∎TR ∞ > TH

   情景法 ―― TR = TH

   芁玄法 ―― TR < TH

  省略法 ―― TR = 0 TH = n

∮TR < ∞ TH

「 ∞ >  」は よりも無限に倧きいの蚘号に關する圌の説明は歀うである。曰く「たしかに敞孞的にはオヌ゜ドックスではないかもしれない。しかしながら、私はこれらの蚘号をそのたた甚いるこずにする。なぜなら、それ自䜓なるほど敞孞的には疑はしいずしおも、いたの堎合はた぀たく明快なある抂念を指瀺するにあた぀お、この文脈においおは、そしお健党な垞識人にず぀おは、これらの蚘号がおよそ考えうる限りも぀ずも透明床の高いものであるず思はれるからだ」ず。

四 そも〳〵物語蚀説の持ち埗る時間は、完党に讀み手に委ねられる宿呜にある。なぜなら、テクストを讀む際に芁する時間は――挔劇や映画などが絶對的、䞍可逆的に進行する物語の時間を受け手に匷芁するのに對し――讀み手の意思に拠る處が極めお倧きいからである。其れこそ、「䞉か月埌」ず云ふ語を讀むのに䞉か月以䞊かける事も可胜ではあるし、䞀方で䞉頁にも枡る矎女の描寫を、凡そ我々が珟実䞖界で矎女を目芖するのにかゝる時間――其れは普通極めお䞀瞬である――ず同皋床の速床で讀み飛ばす事も出䟆るのである。埞぀お䌚話だからず蚀っお珟実䞖界の䌚話ず等速で讀み進めねばならない理由は䜕處にもないし、䌚話䞭に自然に生じる䞀寞した間なんぞに斌いおは、歀れは再珟䞍可胜である。本文で私が「限りなくれロに近い」ず云぀たのは、物語蚀説の持぀時間が受動的に決定されるこずを螏たぞた䞊で、物語のテンポの䞭に斌いおは、䌚話の郚分が盞對的に最も内容ず蚀説ずの經過時間の近䌌する物であるず云ふ事を述べる為である。故に䌚話の描寫に斌ける蚀説ず内容ずの「等速」的關係は、ゞナネツトの蚀葉を借りれば「玄束事ずしお」芏定されるものだず云ぞるのである。

五 匕甚箇所の盎前にも、䞻人公朚村が煙草の朝日を䞀本吞ふ迄の間に女䞭の觀察や分析、其れから朚村自身の心理描寫が「マツチを擊぀お、朝日を䞀本飮む」處から党集版にしお五十䞉行に枡り述べられた埌で「これは長々ずは曞いたが、寊際二䞉分間の出䟆事である。朝日を䞀本飮む間の出䟆事である」ず芪切にも斷぀おゐるのである。埞぀お其の埌の「䞀秒時間――」の件(くだり)は皍お節介が過ぎるやうに、或ひは些かくどく讀み手の目に映るのである。

六 各堎面に斌ける經過時間の豫想は次のやうに行぀た。

  第䞀堎面は「人知らぬ恚」により歞路心適はざる處有るを述べ、其の所以を語り始める郚分である。時間の經過を衚す語は無く、獚逞での物語ずは完党に異なる時系列の䞋に存圚する爲に、恐らく今回に斌いおは、歀處は倧しお考察する必芁の無いやうに思はれる。

第二堎面は、「十九の歳」に孊士を取埗、官僚ずしお「䞉ずせばかり」勀務した末に、二十二歳で掋行した事が述べられおゐる。歀の郚分が「幌き比より」ずの蚀葉で始たる事から、歀の堎面で流れた時間は倧䜓二十幎足らずであるず芋るのが穏當であらう。

第䞉堎面は䌯林に降り立぀た際の感想の次に「ひず月ふた月ず過す皋に」ずある。

第四堎面は冒頭に「かくお䞉幎ばかりは倢の劂くにたちしが」ずあり、其の結果心情及び行動が倉化した事が述べられおいる。歀處に埞぀お歀の堎面の持぀時間は䞉幎蚱りず芋お差し支ぞあるたい。

第五堎面は「或る日の倕暮なりしが」ず始た぀お、゚リスの窮地を救ぴリスの家を去る郚分たでであり、さう長い時間が經぀たずは考ぞ難い。

第六堎面は明確に豫想する事が出䟆ぬ。なぜなら、゚リスを救぀た埌、豐倪郎ず゚リスずの仲がある皋床の時間をかけお深た぀お埃く過皋が、䞀床目の蚪問を描写した埌「少女ずの亀挞く繁くなりもお行きお」ず云ふ蚀葉の䞋、括埩的括埩法ずは、回起こ぀た事を、繰返しを仄めかす蚀葉で纏めお衚珟する方法の事である――爲念に芁玄されおをり、具䜓的な時間詞が明蚘されおゐないからである。たゞ、豐倪郎が官職を解かれ、去就を決するに䞀週の猶豫が與ぞられた事、次の堎面が其の締切りの少し前から始たる事などから凡そ敞週皋床であらうず掚枬したのだが、歀處では第六堎面の具䜓的な時間を具に論ずるより、寧ろ第五堎面が䞉頁ず䞀行で敞時間の出䟆事を描いおゐる事に察しお、第六堎面が芁玄法を甚ゐお、二頁足らずの内に第五堎面よりも可なり長い時間を含有させおゐる事に泚目すべきであるず考ぞる。

第䞃堎面は盞柀から通信員の職を玹介された豐倪郎が゚リスず暫し「暂しき月日」を過ごす郚分であるが、歀處にも明確な時間詞は存圚しない。然し、第六堎面で「離れ難き䞭」ず爲぀た際か或ひは其れ以降かは䞍明だが、第䞃堎面の内に゚リスが悪阻を催す事から、凡そ敞週間乃至は䞀月皋床の時間が第䞃堎面で流れたず芋る事が出䟆るのではないだらうか。

第八堎面は「明治廿䞀幎の冬は䟆にけり」ず云ふ語で始たるのだが、䞉行埌に「゚リスは二䞉日前の倜――」ずあり、其の曎に䞉行埌に「今朝は日曜なれば」ずある事から、この堎面の時間的開始点は歀の「今朝」にあり、其れ以前の郚分は第䞃堎面からの時間的断絶を補足的に接合する充足的埌説法埌説法ずは、謂はゞの時点より前の出䟆事をの時点で語る事である。䟋ぞば、「僕は腹を壊した。僕はトむレで昚日の事を思い出した。昚日、僕はアむスクリむムを十個も食べたのである。」ず云ふが劂き。埌説法によ぀お蚀及される事柄の持぀時間の幅が珟圚たで至らずに、過去から過去の間に存圚するものを郚分的埌説法ず呌び、蚀及が過去又はから珟圚に至る物を充足的埌説法ず呌ぶ。トむレの䟋は郚分的埌説法である。たた、歀れに關しおは以埌詳しく蚀及する積りではあるによる語りであるず云ぞるのでは無いだらうか。さうず假定するず、倩方䌯ずの面䌚及び埌の盞柀ずの對話は䞀䞀日䞭に行はれたものであるから、歀の堎面は䞉頁ず五行の間で䞀日を含有するず云ぞるのである。

第九堎面は、本䟆なら段萜の倉はる四四〇頁六行目「䞀月ばかり過ぎお」ず云ふ文から始たるずするのが穏當ず思はれる。然し四四〇頁䞉行目「『カむれルホオフ』倩方䌯のゐる處ぞ通ふこずはこれより挞く繁くなりもお行く皋に」ず云ふたたしおも甚ゐられた括埩的な芁玄に泚目するず、倩方䌯を蚪ねるず云ふ反埩的行爲が「䞀月ばかり過ぎお」ずの蚀葉によ぀お少なくずも䞀か月以䞊継續した事が明らかになる――぀たり、反埩的行爲の境界を限定するが故に、この括埩的芁玄ず「䞀月ばかり」の郚分ずの関連は極めお密であるず云ふ事が出来る。埓぀お、時間的関係を優先しお芋た堎合、第九堎面は四四〇頁䞉行目途䞭の「『カむれルホオフ』ぞ通ふ」から始たるべきであるず考ぞるのである。たた、歀の堎面は䞀か月の継續した反埩的行爲ず「二十日ばかり」の蚪露で構成されおゐる爲に、其れが持ち埗る時間は䞀か月ず二十日逘りであるず云ぞるのである。

第十堎面は、「二䞉日の間は䞭略家にのみ籠り居りしが」ず始たり、二䞉日過ぎた埌の歞囜決定の堎面は䞀䞀日䞭の出䟆事ず考ぞられるので、歀の堎面で流れた時間は二䞉日逘りず芋お差し支ぞ無いず考ぞる。

第十䞀堎面は、完党な芺醒迄に敞週間を芁した埌、芁玄的に語られる事埌處理から、其れなりの時間が經過したものず考ぞる。

䞃 ゚リスずの出䌚いが蜉換点であるのは最早蚀うたでもない。其れず竝んで倩方䌯の存圚が非垞に重芁なものずなるのは、其れは䌯が豐倪郎の去就に深く關與するず云ふ内容的芁因からも間違いない。然し、蚀説の領域に斌いおも、圌等を或る意味對句的な關係で結び附ける事に拠぀お内容ずの間に盞關關係を生み出しおゐる、換蚀すれば蚀説の方面からも圌等の重芁性が語られおゐる事にも泚目しおおくべきである様に思はれる。具䜓的には、「犜」ず「鳥」ず「雀」ずである。

  件の蚀説は、豐倪郎が䌯ず蚪露しおゐる際の心情描寫に存圚する。すなはち、䌯ず初めお面䌚した折は「屋䞊の犜」のやうに遠か぀た物であ぀た倧臣の信甚が、今や其れは足を瞛られた「鳥」の劂き状態に自分を捉ぞる迄に接近しおをり、亊其の束瞛は䌯からのみならず以前たでの䞊叞からも同様に受けお䟆たものであ぀たず云ふ譯である。歀處に関しおは石橋忍月が「屋䞊の鳩は手䞭の雀に劂かず」ず云ふ獚逞の諺を持ち出しお、『舞姫』での蚀説は、歀の諺を甚いた對句構成だずすれば、誀甚ではないかず批刀し、鷗倖も䞀應認めおはゐる。党集第二十二卷『舞姫に就きお氣取半之䞞に與ふる曞』昭和四十八幎歀處で甚ゐられたのが「鳩」で無く「犜」であるのは、取りも盎さず「鳥」故である。難解で些か銎染みの無い遠い挢字から、䞀般的で簡単な近い挢字ぞの移行が瀺唆する處は、歀の段萜の始めで述べた通りである。其の爲には「鳩」から「鳥」では無く、矢匵り些かの無理を犯しおも「犜」から「鳥」に移行しなければならなか぀たのだず思はれるのである。

  亊「雀」が珟れるのは第八堎面冒頭にある「クロステル街のあたりは凞凹坎坷の處は芋ゆめれど、衚のみは䞀面に氷りお、朝に門を開けば飢ゑ凍えし雀の萜ちお死にたるも哀れなり。」ず云ふ郚分である。歀れは歀處のみであれば單なる情景描寫ずしお看過しうるのであるが、前述の「屋䞊の鳩は――」の蚀葉に埞぀お芋れば、歀の「雀」も亊䜕らかの比喩――手䞭にあ぀お、䞔぀逓えお凍えおゐる存圚の比喩――だず芋るべきやうに思はれる。そしお其れは云ふ迄も無く゚リスの事であらう。畢竟「屋䞊の犜」である倩方䌯ず、逓えお力盡き路䞊に「萜ちお」ゐる「雀」の゚リスずの狭間で、足を瞛られながら矜ばたいおゐる「鳥」すなはち「䜙」ず云ふ歀の關係が内容ず盞關し぀ゝ、䜜品を貫培する印象を䜜り䞊げおゐず云ぞるのではないだらうか。亊歀の䞀連の技術は、『舞姫』ず同じく獚逞䞉郚䜜の䞀である『うたかたの蚘』にも芋出す事が出䟆、歀れらの厳密な蚈算による比喩衚珟の遞擇の結果生じる緊迫は、鷗倖䜜品の敞倚ある特城の䞀぀ず云ふ事が出䟆るのではないだらうか。

尚ほ、鳥の比喩衚珟に關する事、其の他『舞姫』の物語蚀説が持぀諞諞の効果や、いはゆる比喩衚珟の構造化――歀れに関しおも以埌蚀及予定ではある――に關しおは、文藝批評家枡郚盎巳氏の、日本近代文孞史を技術の点から芋぀める著䜜『日本小説技術史』新朮瀟 平成二十四幎に詳しいので、其方も埡参照されるず、諞氏の理解は䞀局深たるものず信ずる。

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