天麩羅
茹だるような暑さも鳴りを潜め、次第に涼しくなってきて食欲も回復してきた。熱い食い物など夏場は見たくも無かったが、今では食べたくて仕方がない。先日食った天丼につけて、天麩羅の話をしよう。 我々が普段、家庭で作っている天麩羅。私も時折寮で作るし、白い飯とカラッと揚がったサクサクの衣に包まれた色とりどりのネタを、大根おろしを落とした汁に付けて食べる時、胸がすく思いがする。天麩羅と飯を別々に食うのも乙だが、日本人は丼という立派な文化がある。別々に食うなんてしゃらくさい、乗っけてしまおうとといったなんとも豪快な料理だ。私など汁をだくだくにして、旨味のしみ込んだ油と汁をいっしょくたにして、それだけで白い飯をいくらでも掻っ込む事が出来る。ヤニ吸いの私が味について何かと申すのも憚られるが、ヤニ吸いでも味わえる位美味いものだと思って頂きたい。 只、どうしても一人暮らしの学生は天麩羅に中々手が出ない。かと言って寮内で油を逐一熱して具材を買い、それをまた揚げる手間を考えたら面倒極まりないと思われても仕方ない。私は別に実際に作って頂けなくても良いので、話半分に聞いて欲しい。 自宅でも店で出す物に負けない位美味い天麩羅を作るために押さえておくべきポイントは、シンプルかつ簡単で、諸兄でも油と鍋と気概さえあればすぐ実践出来るという事だ。簡単に解説しよう。 天麩羅の食感を決定付ける衣に使う卵と水、これをよくよく冷やし、ダマが出来る程度にさっとかき混ぜるのが良い。混ぜすぎると食感も悪くなるし、何より手間がかかる割に美味しくならないと言うのは、これはもう何がしたいのか分からない。材料の水分を紙タオルなどで切っておく事で、カラッとした仕上がりになる上に揚げる際の油ハネも防げる。海老は下ごしらえの際に尾を切り落としておく事。鱚などの魚は腹骨をすいた後に小麦粉を付け、一旦放置しておく事が望ましい。茄子などの水分が多い野菜は一度塩を付けて放っておくと、浸透圧で水分が程よく切れ、美味い茄子になる。私や他の早大生は、漏れなくあの弁当屋によって油で毒されていると思うので、多少ギトギトしていても気にならないだろう。油がしみ込んだ茄子が旨いのは周知の事実だから、そこは個人の好きにして欲しい。舞茸や蓮根は実のすき間や穴が生のままである事があるので、余計な衣を払うと綺麗な具が出来上がる。揚げる油の温度は出来る事なら調べながら調理したい。温野菜や青菜などは一六〇度でじっくりと、身がしっかりしている茸類や根菜は一八〇度近く、イカやエビ、白身魚は一九〇度の範囲で静かに身を入れるだけ。揚げ終わったら花びらを開かせる様に身を立てて盛り付けると良い。よくキッチンペーパーを敷いた皿に油を切った具を重ねてしまう家庭があるが、あまり推奨された事では無い。鍋の上で軽く二、三度振ると良い食感が出る。天麩羅というものは油の切り具合一つで食感がかなり違ってくる事は実際に作って見て頂いたり、腕の悪いバイトに当たってしまったりする事で舌が痛感してしまうだろう。 さて、さも簡単なポイントの様に解説したが、これらが学生にとって手軽に作れる料理では無い事は明らかで、これが今の一人暮らしの学生を天麩羅という食い物から遠ざけている原因だろう。かと言って、手作りに手間がかかるのでうまい天麩羅でも食うかと外に出てみれば、総菜屋や弁当屋で出されるのは冷えた海老に業務用の汁をかけた廉価な弁当しか無く、美味い天麩羅を食べるには、少し財布が痛む。 学生諸兄が天麩羅のような物から離れる原因として大きいものとして、その箆棒に高い値段があるが、あれはほぼ職人のブランド代の様なもので、油代などは、交換頻度は高いがそれ程価格に影響するものではないし、いくら高いネタを使おうが別にキャビアやトリュフを揚げている訳では無い。飽くまでも使っている素材は、海老や鱚などの魚介類や、春菊、蓮根、茄子や季節の茸など、多少高級な物を使っていても、1杯五百円程度の天丼がいきなり五千円を超える事はまず無い。しかもそれらが形式を丼から飯や汁を隔離させただけで、値段が倍になるのは如何なものか。そういった高級店は確かに美味いが、何を以て美味いかと言えば恐らく雰囲気や職人芸に対して上手いと言わされている感じは否めない。フワっとした衣と旨味のある油と食感は確かにチェーン店や惣菜屋の天麩羅と比べて段違いに美味い。美味いからこそ惜しい。我々は値段で食っているのでは無く、味と鮮度で食っているのだから、極端に言えばショバ代やブランド崇拝など必要無いのだ。高そうな皿にちょこんと乗った蓮根二切れにポンと札を出せるかと言われたら、これ程おかしく聞こえるものは無いし、それを有難がる風潮は尚更だ。 だが喜ばしい事に、チェーン店等で手軽に天丼や天麩羅定食が食える世の中になった。非常に喜ばしい。チェーン店と言って侮る事勿れ、あの価格でいて結構美味い。「てんや」を例とすると、海老一尾とってもブラックタイガーだが汁と飯に負けない食感を持っているし、鱚などは揚げたてにかじりついたら舌を火傷しそうになる程熱く、それを冷やす為に飲む茶もまた結構美味いものだ。そもそも天麩羅は鮮度良く、つまり出来たてホヤホヤならば余程ヘタクソに作らない限りは美味いに決まっている。うどんのチェーン店で揚げている古い油で揚げて冷えてしまった南瓜の天麩羅を嬉々として買っている子供を見ると、なんて残酷な事だろうと胸が痛む。「てんや」の南瓜は恐らく何の変哲もない海外産もしくはハウス栽培の南瓜かも知れないが、丼の上で湯気を立てながら汁に浸されて、その全身を以て「美味いぞ!」と叫んでいるような感じさえするので、かぶり付かずにはいられなくなる。「俺もいるぞ!」と言わんばかりに添えてあるいんげんや蓮根も、食べ方に依っては主役にもなる。私などは蓮根の天麩羅は恐らく海老や鱚よりも上、もしかしたらメゴチや穴子の天ぷらよりも美味いのでは無いかと思っている程好きだ。具だけでは無く、汁もそこら辺のスーパー等のベタついた汁とは一味違う事は食べてみれば分かる。悪気は無いはずなのだが、ああいった所の天麩羅の類はどうしても出来立てをすぐ食べるといった形に出来ていないので、飯に汁がしみ込み過ぎてベタベタしてしまう。食べる時に口の中が重苦しいしつこさに見舞われる。こうも「てんや」をほめちぎってしまうと販促の様になってしまうが、事実として出来立ての天丼や天麩羅定食が簡単に食えるのは大きい。スーパーや総菜屋の冷めた天麩羅を温め直し、シナシナした海老やイカにかじりついてベタついた飯をかき込むのは惨めで堪らないのだから、鮮度に重点を置いた「てんや」は手軽に美味い天麩羅が食えると再度褒めたいものだ。 さて、「てんや」の販促も終わった所で、私が食べた店の中から比較的廉価で、さらにここは一度でも良いから行ってみて欲しいと思う店を四店程紹介する。これを切掛けに、出来立ての美味い天麩羅を味わって頂きたい。 はじめに、手近な早稲田界隈にある「いもや」を強くお勧めしたい。「いもや」は、ブーロードと呼ばれる早稲田大学から高田馬場駅に抜ける細道にあり、一見民家の様な装いなので、よく探さねば素通りしてしまうかもしれない。「天ぷら」の看板を見落とさぬ様にしよう。結構歳のいった老夫婦が切り盛りしているにも関わらず、店内がラーメン二郎ばりに緊張感に包まれている。私語は厳禁、携帯使用禁止、帽子は取る、米を一粒残らず食べる、海老の尾も残さない等、暗黙のルールが多数存在しているが、全ては女将さんの愛なので甘んじて受け入れよう。天丼は「てんや」と比べても遜色の無い程安く、しかもおかわりは自由で、お櫃からホカホカのご飯を随時足してくれる。海老、烏賊、南瓜、春菊、茄子、鱚などのごくごく普通の具だが、ごま油を使って揚げられたプロの味は確かである。箸を休めろと主張して来る漬物や、心まで落ち着くような気分にさせるシジミの味噌汁も美味い。是非学生諸兄には在学中に一度は訪れて頂きたい。 三越前、日本橋を北に渡って少し入り組んだ所に「金子半之助」という店がある。ここも千円を超えない程度で美味い天丼を食う事が出来る。こちらは上図の通り具が豪華で、小柱のかき揚げと穴子、海老が二尾と海苔、そして半熟卵が乗る。些か野菜が少ない気もするが、それを感じさせないくらいサックリとした食感と甘めのタレが絡み合って美味い。海老のプリっとした食感と、ジューシーな穴子の組み合わせは自然と飯が進んでしまう。途中で汁と卵を絡めて、卵かけごはん風にして残った飯を掻き込むと極上の気分を味わえる。この食い方を見越していたのか、飯がちょっと硬めに炊かれている所が憎い。また、俺で箸を休めろと促してくるゴボウのガリがまたサッパリとしていて美味い。こちらは味噌汁が別料金でかかってしまうが、ケチってこの味噌汁を吸わないのは勿体無い。 メトロの赤坂駅を出て東に少しだけ歩くと、「天茂」がある。まだ天麩羅屋としては若い二代目の女店主が切り盛りしているこの店は、秘伝の甘辛汁を半世紀にわたり受け継いでいる。ここは天丼も美味いが、個人的にお勧めしたいのはかき揚げ丼だ。貝柱と小エビが中心のシンプルなかき揚げに秘伝の汁をたっぷりとかけて頂く。揚げたてのかき揚げを汁に付けた時の「ジュワッ」という音は、食べる前からその味を保証してくれる。写真の通りビジュアルはやや鈍重にも見えるだろうが、食べている時にそれは感じない。ごま油の香りが食欲を引き立てるので、飯がドンドンすすむし、後になって飯が汁を吸って重くなってしまったら、包丁で乗せられた柚子の皮を軽くかじりながら食べれば良い。コクのあるかき揚げはたまらない美味さで、カラっとしているのにも関わらず旨味が凝縮されている。これも五十年にわたって受け継がれて来た汁の成せる技と言えよう。季節によって、上に乗る付け合わせが酢橘になったりするのも粋で良い。 最後に、とあるグルメドラマでも舞台になった、人形町にある「中山」だ。ここの名物は何と言っても「黒天丼」。左写真を見れば分かるだろうが、名前に恥じず真っ黒だ。メニューは数種類あって、具は主に茄子、玉葱、メゴチ、海老、穴子などで構成されているのだが、蓋を開けてみると、何が何の具だかさっぱり分からない。この天丼はある意味見た目通りといった感じか、濃い目の汁がガッツリと絡んでコクと濃厚さが鈍重さを包み込む男の味だ。食べれば食べる程癖になる。衣はサクサクというよりも、モッチリといった方が正しいだろう。不思議な事に、サッパリとしたメゴチや穴子は、濃厚なタレに負ける事無く飯を運ぶのを手伝っている。特に鱚が良い味を出していた事を覚えている。海老は恐らくブラックタイガーだろうか、プリッとしているものの身自体の厚みをそれ程感じる事無く、どちらかと言えば衣と汁の味で飯をかっこめる。茄子は水分と油のバランスが絶妙で、この辺りは熟練の腕といった所か。尚、ゴローちゃんの様に食べたい物を片っ端から頼むと、十中八九残す羽目になる。店に対して大変失礼なので注意されたい。 長々と続けたが、ざっくり言うと、天麩羅は諸兄が思う程敷居の高い食い物では無いという事に尽きる。小さい頃、学校から帰った時に油のはじける音がすると共に、エプロンを油ハネで汚しながら黙々と天麩羅を揚げる母親。サツマイモの天ぷらを皿に乗せた矢先に一つ二つと出来立てをつまむ。タラの芽や蕨、舞茸を揚げてもらい、母親が待てと言うのに我先にと汁に付け、飯に乗っけて食べる。諸兄にもきっとこんな思い出があるだろう。天麩羅などその程度の食い物なのだ。年端も行かぬ子供でも簡単につまみ食い出来る様な食い物が、何故あんなに有難がられているのか、銀座の「天國」で、仰々しい雰囲気の中で天丼を食い、一服する間に考えたものだ。