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留学するということ

今回の乾文學は留学特集らしいということで、今まさに留学している人間の考えを記しておく。この文章では、留学そのものに対する僕の意見を述べていく。僕の留学そのものの記録は、別に記してあるのでそれを参照していただきたい。

 「留学」は多くの人の頭に浮かぶ選択肢であり、さらに言えば僕らを悩ませる言葉だと思う。「英語を話せるようにならなければ社会で役にたたないのではないか。」「同級生や先輩がどんどん留学するなか、自分は日本に残って成長できるのか」等々、キャリアを考える上で留学という選択肢は度々頭に浮かんでは消える。

 結論から先に述べてしまえば、「特に日本で夢中になっていることがないなら留学しちゃえば?」というのが僕の結論だ。

 なぜか。まず多くの日本人にとって海外での生活はそれなりに困難だ。僕は、先進国で英語が通じるという最も楽といっても過言ではない環境で留学しているが、それでも毎日が戦いだと思っている。つまり、自分を「努力せざるをえない環境」に追い込むことができるのだ。少なくとも僕はスーパーで買い物したり、授業で事務的な質問したりするだけでも勇気が要る。初めの内は日常生活を送るだけで消耗し、疲労困憊になる。そして、いかに自分が日本でイージーな生活を送っていたか実感する。

 外国人は見た目もノリも全く違う。だから、話すのがめんどくなるときもある。でも、自分から外に出ないと、容易に引きこもりになってしまう。人間関係を作るだけでも努力が必要だ。日常生活に慣れてくると、試験がやってくる。全てを外国語でこなす試験だ。英語ができないという言い訳は通用しない。まだ留学開始からたった2ヶ月でも、自分が強くなった気がする。

 もう一つ、留学の利点がある。それは「自分」についてゆっくり考えることができる点だ。海外には基本的に「就活」という概念がない。もちろん就職するための準備はするけれども、日本のように画一的なシステムではない。特にヨーロッパではみんなのんびりしている。なぜ余裕なのかというと、自分の勉強が就職に直結していると信じているからだと思う。そういう人たちの中で暮らすと、本当に自分のやりたいことがなんなのかが見えやすくなる。「就職で有利になるから留学しよう」みたいな考え方は、少なくとも僕の中では消えた。多くの学生が修士号を取るし、大学入学前にフラフラしているのは普通だ。日本では、何かしようと思っても「就活」がちらついてしまう。もし何かやりたいことがあっても、将来に結びつきそうになければためらってしまう人は多い。一旦、頭にこびりついたそういう思考から自由になるのは爽快だ。

 異なる文化に身を委ねるという体験も僕にとって非常に重要だ。自分の今まで持っていた価値観、何が良くて何が悪いのかという境界がぼやけていく。ほとんどの価値観は相対的なものでしかない。だからこそ、「人として」大切な価値観を身をもって知ることにもなる。困っている人を助けたら感謝されるし、相手を裏切るようなことをすれば悲しませてしまうのだ。

 今、留学といえば意識の高い行いの一つになっていると思う。でも、僕はとにかく外に出ることをお勧めする。留学を通じて英語を鍛えるとか、ディスカッションで負けないようになるとか、外国人の友達をたくさん作るとか、そんな目的意識を持つ必要なんてない。そういう目標があったほうがいいのかもしれない。でも、全く違う環境に飛び込めば、その中で自分がどうありたいのか嫌でも考えることになる。もし、留学に行くための高尚な口実が見つからないからと言って留学をためらっている人がいるなら、そういう人に対して僕ははっきり「馬鹿か」と言いたい。理由なんていらないと思う。強いて言うなら、なんとなく海外に行きたいと思っているのであればそれで十分だ。しかし、僕の言葉の裏を返せば、行きたくないなら別に留学する必要はないと思う。みんなが留学しているから、という理由で留学する必要はない。それは、留学したほうが将来有利だ、みたいな功利的な感情に基づいていることがほとんどだし、功利的な感情に触発された行動は基本的につまらなく感じる。

 僕は、時間・場所・付き合う人・を変えるのは自分を変えるための唯一の方法だと思う。留学とは、付き合う人、時間の使い方、住む場所を最も大きく変えることができる最も簡単な方法だ。「留学」といったって要するに今までと違う場所で少しの間、学生をやるということにすぎない。しかし、これだけ手軽に刺激を得られる方法もなかなか無いと思う。留学にちょうどいい時期も何も無いと僕は思う。行きたいと思った時が最良のタイミングだ。将来のことはとりあえず置いておいて、今のことを考えてみてほしい。

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