私の留学計画
今回の乾文学はテーマが留学ということなので、私の留学計画について書こうと思う。
留学プログラムについて
私の参加するプログラムは、ミクロネシアのヤップ島という太平洋の小さな島で行われる。期間は二週間ほどで、春期休暇の二月半ばに行われる。数日ホームステイもする。そんなところへ何をしに行くか皆さん不思議に思うに違いない。「何をしに行くの?」そう聞かれたら僕は正直一言では答えられない。まずこのプログラムに僕が出会った経緯を説明したい。
高野先生との出会い
一番さかのぼると中学くらいまでさかのぼらねばならない。僕はその頃からアラスカの自然にあこがれを抱いていた。きっかけは星野道夫という写真家・エッセイストが書いた「旅をする木」という本である。本には厳しくも美しい大自然とそこに暮らす人々が、それらと関わる著者の心情と共に記されている。それは大学生の今でも忘れられず、手元に置いてある。春期の試験週間の前々週頃だっただろうか。サークルの先輩がFacebookでカナダのユーコンでの短期留学プログラムの感想について「いいね!」をしているのがたまたま視界に入った。ただの語学研修で現地の学生と交流しました!というものではなかった。-30度にもなる冬のカナダで現地の学生とスノーシューキャンプをしたというものであった。オーロラを見上げ、大型のテントで衣食住を共にし、自国の文化や価値観について意見交換をし、友情を深める。「これだ」と思った。しかし調べても詳細があまり出てこない。高野孝子先生という方が運営した授業だとかろうじてわかったので、話を伺いに研究室の戸を叩いた。どうしてここに来たのか、プログラムに参加したいのか自分の熱意を伝えるのに必死で一方的にまくしたてたと思う。緊張してかなり支離滅裂な説明をする私を先生は穏やかな目で見ながら話を聞いてくださった。話を聞き終えて先生はカナダには今春は行かず、代わりにヤップ島というところへ行くことを教えてくれた。気候は全く異なるがプログラムのコンセプトは殆ど先生の中では動かず、むしろヤップ島のほうがより深い学びを得られる場所であることを熱心に話してくれた。その時把握していなかったが高野先生は野外教育、環境教育の専門家であった。私が登山サークルに所属していることに話が及ぶと小学生向けのキャンプにボランティアスタッフとして参加しないか声をかけてくれた。こうして私は高野先生が代表を務めるNPO主催のキャンプに参加することになった。8月上旬のことだった。
キャンプでの出会い
キャンプでは高野先生を慕う大学生が数人参加しており、彼らとの交流は非常に楽しかった。その中にヤップ島に行った参加者がいた。彼女の話は私を魅了した。自然と共に生きるとはどういうことか。全くの異文化で価値観が異なる土地での経験はプログラム参加を決めるには十分だった。
ヤップ島ってどんなところ?
ヤップ島はミクロネシア連邦のうちの島で非常に伝統的な社会である島だ。というのもかつて貨幣経済が存在していなかったほどである。というのも、豊かな自然に恵まれているため、農業と漁業を軸とした自給自足が可能だったからである。こうした豊かな自然に囲まれた人々は経済的にはダメでも、伝統的で「豊かな」文化、精神をはぐくむことができた。しかし今日ヤップ島も我々と同じ時代を生きており、グローバリズムや資本主義と無縁ではいられなくなっている。自分たちが今まで大事にしてきた価値観が問われ始めたのである。若者が欧米社会に対する強いあこがれを示す一方で、自分たちの伝統社会をないがしろにするようなことが起こり始めている。社会の変化はそこで暮らす人々の精神性にも影響力をもたらす。自殺や都市型犯罪などかつて見られなかった問題も起き、近代社会の抱える問題も人々に突きつけられている。環境においても変化が生じている。地球温暖化が主原因と考えられる海面上昇、異常気象だ。豊かな自然の恵みを受け取るということは、自然の変化や異常によるダメージを真っ先に受けるということでもあるのだ。プラスチックや使用済電池の処理などゴミの問題も深刻だ。
ヤップ島プログラムとは?「豊かさとは何か?」
そんなヤップ島では「持続可能な社会とは何か」「豊かさとは何か」という大きな問いがある。日本では教科書に載っているきれいごとや自分とは関係のない問題と思われがちかもしれないが、彼らには直面しているゆえ深刻な問題である。経済成長を掲げて近代化を遂げた日本は成熟国家と言える。グローバリズムの拡大とそれに伴う国家の役割の揺らぎ・少子高齢化に伴う社会保障の支出増大の中に現代はある。将来どのような社会が望ましいのか構想することは非常に大事なことだがなおざりな印象はぬぐえない。
僕はざっくりいえば「心の豊かさ」に関心がある。これをやるのは文学や宗教かもしれない。この先経済的な豊かさ一辺倒では「勝ち組」「上流階級」を除いて幸せになるのは難しいだろう。そうでなくてもそこそこ幸せでいられて暮らせていける社会制度を構想したい。
野外教育・環境教育とは何か?
この問いをあえて一言で答えるならば「人と自然との関係を考える学び」となる。子供のころ自然の中で誰しも遊んだ経験があるはずだ。自然には人を魅了する何かがあるともいえるし、人の中に自然に反応する何かがあるともいえる。野外教育では教室の中での学びがすべてでなく、自然と触れ合うことで人は成長することを学ぶ。私は上記のキャンプで子供たちが日々変化する様を見せつけられた。
環境教育と言えば皆さんはどのようなものをイメージするだろうか?結局結論はいつも「自然破壊はいけません。自然を大事にしましょう。皆さんも日々できることからやりましょう。」に落ち着くというものが私の小学校の時くらいのイメージである。結論ありきで誘導的、教条的、道徳的(偽善的)なイメージがあり、苦々しい気持ちで思い出す。上記の言葉で言えば、当時の私には自然との関係ができていなかったのだろうと思う。私の親しみの持てる自然はそこになかった。今はどう違うか考えてみるとメッセージは変わらないが、その前提が大きく異なる。それは自然と人との関係を具体的に想像できることである。また私たちは万能ではないが全くの無力ではないことを知っている。すぐに世界を変えることはできないが、ゆっくりとであれば変えられることを学んでいる。
なぜ関心があるのか
私の関心は大きく3つある。一つ目は創刊號にも書いたが社会問題。2つ目は自然である。なぜひきつけられるのか自分でもわからない。3つ目は世界である。「向こう側」に対するあこがれだ。ヤップ島プログラムはこのすべてを満たしていた。課題先進国とも評される日本の社会課題は日本の在り方と不可分である。海外と相対化して考えることは有意義にちがいない。「人と自然との関係」を考えることは「豊かな」社会を考えることにつながると思っている。また自分の中での関心がつながることも期待できる。
報告会をうけて
先日今年の8月にヤップ島へ行った人たちの報告会があった。美しい自然での体験も非常に魅力的だった。ココナッツの殻を自分で割って飲んだり、パイナップルとご飯を炊いたり(めっちゃ楽しそうじゃない!??)普段日本で汚いトイレ(公衆トイレ)でできない男子が向こうで6日間できなかったという話は会場で大うけだった。体験者の話の中にはヤップ島がかつての伝統的な社会と現代社会の狭間でもまれている様子がうかがわれた。「幸せ」の形という社会の規範のようなものが崩れているのだ。伝統的な茅葺き屋根の美しい建物がある一方で、十年前の台風で半壊状態のままのコンクリの建物で暮らす人がいる。すぐに「近代化」した日本と大きく異なるのだなと感じ、楽しみが増した。