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「自分探しの旅・改」

塾講師の仕事柄、中学生に国語(現代文の説明文)を教えている時、ふとある文章に出会った。

内容は「自分探しの旅」というものであった。うろ覚えであるが、内容は次のようなものだった。

「自分がどういった人間かを知るために、誰も知り合いのいない、全く新しい土地に行くという考え方もある。自分の事を知らない人に出会うことで客観的に自分の事を見つめ直すことができる。知らない自分を見出すことができるからである。

しかしこの理屈は、奇妙なものである。本当の自分を知りたければ、自分の事をよく知っている人に出会って、自分がどういう人間なのか聞くことが、自分がどういった人間かを知る手がかりになるのではないだろうか。自分の事をよく知っている人間に自分の事を認めてもらえることで、初めて自分の事を知ることができる。」

 なるほど、自分の事をよく知っている人間と深く付き合うことで自分がどんな人間かが見えてくるという事である。

確かに、自分の事を知らない人から貰う助言よりはよく知っている人から貰う助言の方が、自分の事をよく考えた上での意見であるから、そこから得られる収穫の方が濃厚である。第一、自分の事をよく知らない人は上辺だけで助言してくるのかもしれない。

自分の事を知らない人間から貰うコメントとよく知っている人から貰うコメントは「質」が違う。そのコメントには今まで過ごしてきた「歴史」が含まれているのである。

 しかし、私は本当の自分を知るために必要なことはもっとたくさんあると思う。

まずグループに分ける。

A 「相手も自分も共通して認識している『自分』」

B 「相手だけが認識していて、自分には見えない『自分』」

C 「相手には認識されていない、自分にしか見えない『自分』」

D 「相手も自分も認識していない『自分』」

この例を挙げてみれば、先ほどの自分探しの旅はこの中の一部にしかすぎなかったことが分かるであろう。まぁ人というものはコインの様に「表」と「裏」があって、自分にも見えない「自分」は確かに内在するものである。こういった経験がないだろうか? 始めてやることだというのに上手くこなす事ができたとか、思わず上手くできたこと。

 日々戦っている人にはもっと鮮明にわかるだろう。勉強であれスポーツであれ、戦う相手は「相手」だけとは限らない。油断している隙に不意を突かれてしまうこともある。そして失敗して、自己分析して、弱点を見つけて克服して……。

自分の弱点が見えたという事は、まだ知らない自分が見えた証拠であろう。しかしそれでも開発されない「自分」は存在する。

現に「俺はもう自分の事はすべてわかりきっている」と胸を張って言っている人を見たことがあるだろうか?

 知らない場所に自分の身を置くという事は、「知らない自分」を見つけたい気持ちの表れであろう。見つけられないわけではないが、こなしたからと言ってすべて分かるわけではない。結局「自分も他人も知らない自分」は、時間だけが教えてくれるのであろう。

 だから恐らく「自分の知らない土地に身を置く」ことは、達成できるかどうかではなく気持ちの問題として「D」に分類されるであろう。

 問題は「自分の事をよく知っている人のもとを訪ねる」ことである。他人の言う事を飲み込んでいるだけならば所詮「B」にしか過ぎないのだ。

[endif]--![endif]--[endif]--![endif]-- 他人の言うことを聞きとめる気持ちがあっても、それを篩に掛ける事無く、素直に聞いてばかりいると時々「C」と矛盾するのではないだろうか?[endif]--

 人は認めたがらないであろうが、「C」だって確かに存在する。

いつも自分の言いたい事ばかりを言っている人が実は繊細な奴だったりする。今の時代、いつでも気軽に「メール」をして相手と連絡を取り合うことができる。しかしよく考えてほしい。あなたが会話しているその相手とは一体誰なのだろうか。

相手と話しているようで、実は相手と会話しているわけではない。メールを通じて会話している相手とは「自分の中で作り上げた相手の像―image」なのである。相手は気が強いだろうと思いふと乱暴な言葉遣いをする。しかしそれによって相手がどれだけ傷ついているかは分からない。だからこそSNSのトラブルは起こるのだ、と私は考える。

 「人は見かけによらない」と言われる所以である。人には見えないその人の「心の内」なるものは確かに存在して、それを知らないで「自分探しは終わった」などと到底言えまい。

 だから自分がどういった人間か思案を巡らせるときには「自分の知っている自分」の存在をもっと認めるべきである。「自分の知っている自分」は「相手の知っている自分」と同じくらいの重さがある。相手が何と言おうと、「相手の言葉に傷つきやすい」のであればきっと自分とは繊細な心の持ち主である。

相手が何と言おうと試合に勝てたのであればそれは確かに成長した証拠である。

難しいことはない。自分の発した言動・しぐさ、その時相手がどんな反応をしたか、自分を知るためのヒントは見えないようで実は身近に転がっている。本当の自分を知りたければ強引に探すのではなく、敏感に自分の周囲を見渡すことから始まるのである。そして数学の答案と違い、答えなんかすぐに出ない、という事を心に留めておく必要もあるのだ。

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#第3巻

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