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この夏の思い出

僕はこの夏、サークルでの登山を中心に多くの自然体験をした。全体として天候に恵まれなかったが、どれも有意義なものだった。夏の体験を皆さんに紹介し、面白がってもらえたら何よりだ。この文を通じて山や自然に興味を持ってくれたら嬉しい。

七 月

○富士山について

これはサークル活動ではなく、バイトの研修であった。このバイト先の会社の業務は登山者に登山用品を貸し出すことである。一生に一度は富士山に登りたいと思っている日本人は極めて多い。この巨大な需要に応えて発展している今年7年目のベンチャー企業である。そんなわけでお客さんのほとんどが道具を何も持っておらず、登山もしたことがない方々である。(高尾山は登山に入りますか?ってレベル)彼らの不安(例えば高山病にならないかとか、普段ほとんど運動しないが大丈夫かといったものだ、)を解消するのがスタッフの役割なわけだが、このスタッフが実は富士山に登ったことがありません、では話にならない。こうして本研修があり僕は参加した。結論から述べると、悪天候で頂上まで登ることすらかなわなかった。ご来光を見ることができなかったのは非常に残念であったが仕方ない。また登山の感想として、僕は富士山を舐めていた。初心者でも登れるということは、経験者なら何も準備など必要ないということを必ずしも意味しない。富士山の特徴は何といってもその高さと独立峰であることである。高山症状は馬鹿にできない。そして周囲に風雨を遮るものなどないわけだから、風も非常に強い。山の恐ろしさは天候によってその表情を大きく変えることであるが、富士山はより顕著といえる。晴れを経験した人の意見を安直に信じてしまうと痛い目にあうことになる。山行としてはあまりよくなかったが、よい勉強になった研修だった。

今は富士山のシーズンも終わり、バイトの業務の中心は中古の買取販売や紅葉のツアーにシフトしている。「一生に一度は富士山へ行きたい」客層はレンタル業界にとって大きな市場であると同時に、アウトドア業界にとっては大きな課題でもある。この客層の足を他の山へどう持っていくか? その最前線を見ることは興味深いことの連続だ。

○尾瀬について

これはサークル活動で行った。僕は本山行において、企画者という山行全体を企画、運営する立場になったので、下見と本番(8月半ば)の2回尾瀬へ足を運んだ。尾瀬というのは新潟県、群馬県、栃木県、福島県の県境にまたがる湿地帯の総称である。日本の自然保護運動発祥の地でもある。湿原であるためその季節で色とりどりの花が咲き乱れる。木道が整備されており、その上を歩く格好だ。山に登らなくとも楽しめる場所なので、年配の方に非常に人気がある。この山行は後に述べる夏合宿というメインイベントに備える登山で、体力的にきつ目の行程が設定される。具体的にいえば、山行時間が8時間、高低差(つまり実際に登る高さ)は1200mであった。下見では快晴に恵まれ、最高の山行であった。しかし本番は土砂降りであった。天気予報は見るサイトによってほとんど異なり参考にならなかった。強行は危険なので撤退したわけだが、一直線に撤退してももったいない。そのため尾瀬の中心にある尾瀬沼という大きな沼を周回したのち撤退することにした。しかしこの尾瀬沼が皆の想像を上回る大きさで一周するのに3時間かかった。視界は悪く、足場は木道のため非常に滑りやすい。肉体的でなく精神的にきつい山行になった。

企画者という責任ある立場を任されたわけだが、社会との接点を複数持てた点がよかった。社会との接点というのも大げさかもしれない。バスの手配をしたり、食事処や風呂場を確保したりといったことで、そこまで大したことではない。しかしそんなことでも実際は非常に大変で、自分の能力と向き合うことができてよい機会だった。

八 月

○キャンプ(in 新潟)、尾瀬、夏合宿

8月頭に小中学生対象のキャンプにボランティアスタッフとして参加した。これに参加する経緯は話すと長くなるので割愛する。場所は米どころとして有名な新潟県南魚沼であった。日程は3泊4日であったが、前日に現地入りしたため実質4泊5日であった。このキャンプの特徴としては、できるだけ子どもの主体性を大事にすること、環境に負荷をかけないことという2つの柱があったように思う。スタッフとしては一緒に遊んだだけで、何か教えた記憶はない。最初なんの指示もなく戸惑っていた子供が数日で変化していく様子を近くで観察できたことはとても有意義であった。例えば料理を作る場面を思い出してみたい。まず火を起こすところから始まるわけだが、着火剤はおろか、新聞紙もない。薪もない。薪は自分で廃材を鉈で割って作るのだ。周囲を見渡し、乾燥していて火種になりそうものを寄せ集めるところから始めるのである。大人チームは遅れている子どもチームの手伝いなどせず、自分たちの調理を進めてしまう。真面目な子に丸投げして遊んでいた子供たち(見た目も中身も古き良きザ・クソガキって感じ!)もこのままでは本当に食べられないことがわかり、徐々に食事作りに参加するようになる。もちろん参加するだけでうまく協力できているわけではない。やっとの思いでご飯ができたが、今度は箸がない。先生に聞いても「目の前にいくらでもあるじゃない」と笑うだけである。適当な枝を見繕ってナイフで磨く。気に入らないものは火に放り込みもう一度作るだけ。器を洗うものもないので、同じ要領で周囲を見渡して…。

プログラムは他にも、沢登り、地元の神事の火渡り、虫取りなど多彩なものだった。もう少し長期間のものであれば、子供たちがもう一皮剥けるさまを見ることができたに違いない。スタッフは僕の他にも大学生が4人おり、彼らと話すこともとても刺激的であった。帰国子女で、もうすぐ留学へ行く人がいた。野外教育の専門家を志す人もいたし、スポーツに打ち込んできたがミスをすることにおびえる日々に疑問を覚え、そんな時に先生に出会った人もいた。

○夏合宿

尾瀬は上記のとおりで、悪天候のため夏合宿の準備にはならなかった。しかし夏合宿は予定通り行われた。僕の所属しているサークルは大所帯なので、各パーティーで分かれて北アルプスを登る。大体各パーティーは機動性(隊列が長くなるほど、全体のペースは遅くなる)や団体装備を考えて一つのテントの収容人数(5、6人)が目安なのだが、うちのサークルは2つのテント(10~12人)程度で動く。各々は自分が行きたい山やコースを10コースくらいの中から選ぶ。僕が選んだのは笠ヶ岳という山であった。出発日は8/24で、/31までの長丁場である。ちょうど其の頃日本列島に向かって台風15号が北上を続けていたのである……。(続く)

#第3巻

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